NOROIの福袋

中度ASDの日常

心の傷と脳の傷

  最近は一年生のときと比べて格段に課題が少なく、負担がかかることもなくてストレスが減ったと思う。

 

 しかし、毎週英語でプレゼンを録画して指定のサイトにアップしなければいけないという課題があり、その録画を見ると自分が強く笑っているはずなのに他の子よりすごく疲れていて、本当に虐待のサバイバーにしか見えなくてつらい。

 

 教授もなにかにつけて「この大学に入るような諸君は比較的恵まれた環境で育ったんでしょう」とか言うことがわりとある。そういう格差の現実を見せつけられている感じ。

 

 二年生になって専門科目を取れるようになったけど、心理とか福祉のケアの最新の常識を知るほどに、自分が育ってきたこれまでが完全に間違っていて、あってはならないことだったのだと知ることが辛い。

 

 虐待を受けると子供の脳はじっさいに歪んだり傷が付くと昨日聴いた。授業で。虐待で歪むならいじめでも歪むだろう。

 

 じゃあ、せめて20歳になるまでは、誰ともかかわらず引きこもっていたほうが、まだ脳に傷が付かずに保たれたということになる。

 

 それに私はASDなので、子供の時の40人弱クラスの授業には適さなかった。いじめも受けて脳も歪んで、行っても何一つメリットはなかったということ。大人数授業を受けても頭に入ってこない脳なのだから、引きこもって安全な場所で勉強しておけばよかったということ。親に引き摺って学校に行かせられた。「学校の給食費を払っているから、そのお金がお前が休んだら無駄になるから学校に行け」と母が、他の家族を巻き込んで皆にもそう言わせた。ひとりでは何もできない人だった。

 

 せめて20歳とはいわない、15歳くらいになるまで子供として守られて育ちたかった。

 

 私はもともと中度ASDなのではなく、子供の時の環境が原因で情緒などに問題が出て、今中度という症状になっているのだと気付いた。だってどう考えてもおかしい。自分の生育歴を覚えているので、うまれたときから中度だったということは・・・・おかしい。

 たぶん主治医はそれもわかっていて、それでも周囲や家族の悪意のせいで症状が酷くなったというより「もともと中度ASDだった」と伝えるほうが私にとって良いと判断したのだと思う。

 

 主治医の大人の判断に感謝。

 

つづく。