NOROIの福袋

中度ASDの日常

絶縁後

 大学に入学してから、虐待に関するトピックがよく授業にでてくる。

 虐待の定義は身体的暴力だけだと思っている人は多いけど、現代の定義では身体的虐待、心理的虐待、性的虐待がある。

 現代の定義に照らせば、私も虐待を受けたということになる。身体的虐待も心理的虐待も性的虐待も全部。両親だけではなくきょうだいからの虐待も含め。

 だから、あえて定義しようとするなら、私は毒親(きょうだい)育ちということになると思う。

 でも、そういうことを言ってもきりがないと感じている。

 そんな素晴らしい正しい人権意識が生まれたのは最近だし。

 やっぱり責めたくない気持ちがある。

 

 しかし、キッパリと絶縁し、戸籍をいじってほんとうに良かったと思っています。

 もう二度と家族に会えないとしても、私の選択は本当に正しいものだったと思う。

まだ迷っているうちは何も変わらなかったけど、キッパリと絶縁してから急に運が開けたし。

 

 最近、勉強とか仕事に疲れ果てて、よく行く公園で、大きな石の上にすわって、空を眺めるのがマイブームなのですが、

 空の雲が流れるのをみていると、私は宇宙に一人なんだ、と思う。

 だって肉親は一人もいない。

 それが本当に納得できる気がする。そして、もう宇宙に一人なんだから、彼らを憎むのはおかしい、と思える気がする。

 家族に生まれたけど、本当は魂は全然違うから、家族ではなかったから別れることになった。こうやって別れてきたことは間違ったことだと思っていたけど、本当は間違ったことではなかった。もしそうではなかったら、中度ASDの女が一人でこれだけの年月、一人で身を立てて生きてこられたはずがない。今こんな風にここで生きているはずがない。もし私たちが家族だったら、どこかの時点で家に戻ったはず。

 

 だから、彼らを憎むのは、見当違いだと思う。

 彼らを責める気持ち自体が、幻影のようなものだと思う。

 私は本当は彼らとは全然違う魂なんだ、とスピリチュアル的なことを調べたり考えだしたとき、昔母親がまさにそういうことを言っていたことを思い出した。

 「そんな子を育てる親は大変」と知人に、私の前で苦労をにじませていた。その母親の言っていたことが理解できた。

 そう言った母親は全然自分の分身ではない、魂は全然違う私をわが子として育ててくれたんだと思うと、不思議といろいろなことが納得できる気がする。

 

 

つづく。