春休み少し前から、まったくのクローズで施設清掃のパートを始めた。
内容はトイレ掃除、ロッカー掃除、洗濯など。
そして、スタッフはほとんどみんな高齢者です。70歳とか60歳とか、まあ70歳前後の人が多いかな。
そして、非常に不便な田舎に施設があるため、遠くから通っている私は土日勤務のときは同僚に駅まで送ってもらうことが多い。みんな送ってくれるというので断りきれなくて。
そういう70歳の人たちと一緒に働くことって今まで多分なかったと思うのですが、男の人はみんな普通の会社を40年くらい正社員で務めて定年退職していて、そういったキャリアとか人生経験を振りかざしてくるので車の時間が非常にしんどい。仕事でかかわるのもしんどい。何も聞いてないのに、田舎の野生動物かわいいとか雑談しようとしてるのに、向こうから自分の人生経験の話ばかり。そして「お前より苦労してるし人生経験積んでるんだ。だから俺のほうが上だ」という話で終わる。
「男子トイレのそうじのほうが何倍もたいへんなんだ」とか「君みたいな新人と組むと助けてもらえなくていつもより大変なんだ」とかいう人もいるし、
単純に高齢なので仕事中ささいなことでキレて理不尽に怒ってくることも多いです。
いやでも、そんなに悪い人たちではないんです。
というか、そういう高齢の男の人って偏狭で我が強くて人の気持ちに鈍感で、こどものときのASDそのままの自分にソックリだと思う。そういうのを心理学では「システム化傾向」と言います。⇔「共感化(女性に多い)」
今日も高齢男性に車で送ってもらって話したけど、本当に自閉症の症状によく似ていると思った。
そして、二十歳くらいの自分の会話を思い出して、我が身を振り返って嫌になった。周りの人にはこんな風に見えていたんだって。こんな風に聞こえていたんだって。
正直に言って、こんな風に年を取ってしまうとしたら自分はもっと外向的に、人の気持ちに気付くようになりたいと思った。自閉症も改善していきたい、人と心をかわしたい、今からでも友人ももっと作って外に心を開きたいと思った。いや、そういうタイプだからこそ社交性がなくて悪循環になっているのかもしれないけど。
そして、自分は苦労したことを執着したくない。無理かもしれない。みんなそう思っているけどできないんだと思う。でも苦労したとだけは言いたくない。何も言わずにきれいに去りたい。いや、難しいな。
ふだん接している医者とか教授とかなら、60歳でも若い人にそういうことを言わずに済むだけのものをもらっているんだと思う。でも、本当は中身は教授も医者も同じなのかもしれない。強い人間なんていないと思う。教授とか医者という肩書があるから言わなくてすむだけ。いや、もしかしたら地位がなくても何もなくても、強く生きている人はどこかにいるのかもしれない。そんな人がいたら会ってみたいと思う。
とにかく、一日中数か所の便所のそうじで往復3時間以上かかるし人間関係も別にいいわけでもなく、会社もテキトーなので何もいいことがないバイトです。
つづく。