今日はゼミのグループワークの日でした。
グループワークの苦手さは変わらないものの、ずいぶんうまく適応できるようになっていると思う。
どこかに、こんな優しい世界があったら、私が子供の時に、そうすれば、ASDなんてそんなすごい困難ではなかったのに、そんな世界がどこかにあったらよかったのに、いや、ここにあったんだ、と思う。
こういう優しい環境があれば、両親をあの教授陣のような人たちが助けてくれたら、見守ってくれたら、そんな世界がどこかにあれば、いや、ここにあったんだ、でも私が育った世界はそういう世界じゃなかった。
こういう優しい環境で子供の時過ごせていたら、もしかしたら発達も全然違っていたのかもしれない。人格も発達も全然ちがう形成の仕方をしていたのかもしれない。
そんなことを考えても仕方ないけど、でも「子供の時、こういう環境なら」と別の可能性を考えるのは悪いことではないのかもしれない。
つづく。